箕輪さんと論争しておもったこと―SNS時代の節度ある批判・批評とは―

先日、 幻冬舎の著名編集者・箕輪厚介さんとツイッターで論争しました(単に一回、反論のリツイートしてもらえただけw)。

「死ぬこと以外かすり傷」の著書や、落合陽一さんらの著書の編集者として大ヒットを飛ばし続けているあの箕輪さんです。

俺は箕輪さんに反論されたんだぜ!という自慢&記念(ただのファン)と、その時に感じたことが結構、おもしろかったので、皆さんに共有しますね。

結論から言うと

SNS時代特有の「批判される側の負担感」に思いをはせた、節度ある批判・批評が必要だね、という話です。

箕輪さんの反論リツイート

論争の経緯

最初の経緯は箕輪さんのこのツイート(以下ツイッターより順次引用させていただきます。)

このツイートを見て、それはちょっと言いすぎなんじゃないのかなと思って平野が以下のツイートをしました。

すると、先ほどの箕輪さんの先ほどの反論ツイートをいただいたわけです。(うれしい)

「ぜんぜん論争じゃなくて、1回からんだだけやんけ。釣り記事かくなボケ!」

と皆さんの声が聞こえそうです。すみません箕輪さん。

すみません。でも、ここからが本題です。

低評価レビューには価値がないのか問題

まず、箕輪さんの言っている

「 アマゾンレビューや食べログでわざわざ低い点数つけるようなやつははっきり言って成長しない。面白い!美味しい!楽しい!天才!って言って世の中のいいところをパクリまくるのが大切。 」

(箕輪さんのツイートより)

という話について。おそらく箕輪さんの言いたかったのは、

何事も弱点の批判やマイナス思考から入るんじゃなくて、良い点に注目して、評価してマネすることが成長につながる

ということなんだと思う。はっきり言ってその主張には賛成。

ただ、残念だったのは、低いレビューをつけることを「成長しない行為」として批判していた点。

Amazonで本買うときどうしている?私もそうだけど、やっぱり悪い評価と良い評価両方見て買いますよね。

例えば、

私は先日、本屋さんである洋書を買いました。翻訳が本当にひどく日本語になっていなかった。さらに、タイトルがミスリードだった。Amazonのレビューは☆2つで、買う前にチェックしていればよかったなぁ、と本当に後悔した。

という悲しい結果を生まないために、低評価のレビューも意味があると思っているんです。

あと、その洋書を数千円かけて買ったお金と半分近くまで読んだ時間、ほかの人に同じ体験させるのは嫌だな、とも思って、私は☆1つに評価にし、「翻訳がひどくて、日本語になっていない」と短くレビューしました。

というように、レビューは意味がある行為だと思っているし、こうしたレビューの中には、きちんと分析して「書評」ともいえるんじゃないかといえるほど、すばらしいレビューもあったりします。

批評や批判は「成長しない」無価値な行為なのか

私は、批評や批判も何かを創造する行為だと思っています。

もちろん、誰かの足を引っ張ったり、粘着して(まさにこのブログのようにw)批判するのはあまり「創造性」があるとは言えません

箕輪さんが批判したかったのは、「人を引きずり降ろそうとする行為」のことだったんじゃないか、と想像します。

ただ、何かを批評したり、批判する中から、本で扱っているテーマが深められたり、論点が明らかになったりします。

「記者」というある意味、批判や批評をおしごとにしている業種の平野麦からすると、箕輪さんの発言は残念でした。

「素直に黙って食え」「まずくても批判は認めない、店から出ていけ」と頑固おやじやっている飲食店に入ったような気分で、悲しい気持ちでした。

この「悲しい気持ち」っていうのは、「批判や批評の価値も理解してよ箕輪さぁーん」という、箕輪さんに分かってほしいファンとしての平野のエゴがありそうですw

批判や批評される側は「まな板のコイでいろ」ということか!?

ここまで、箕輪さんへの批判を書いてきたわけですけれど。立場を変えてみると・・・

箕輪さんは日々一生懸命、本を編集して、今も起業家・前田裕二さんの「メモの魔力」を一生懸命宣伝することに奔走している。

そんな中で、粘着で低評価レビューをみたら、お前みたいなヤツは成長しないぞ!とツイッターでつぶやきたくなる気持ちも分かります。

だって、実際に箕輪さんは走っているんだもん。

著者と2人3脚でマラソン走っている箕輪さんに沿道から、批判を浴びせているようにも見えてきます。

そこで、箕輪さんが沿道に向かって、うるさい走るののじゃまだから黙っていろよ、とリツイートで反論すると、こういう粘着なwブログを書かれる訳です。

立場を変えて考えてみると、「著者たるもの読者の批判への寛容性を持て!批判への批判は許さない!お客様は神様だ!お前らはまな板のコイでいろー!」と言われているようにも見ますね。

これはひどい状況です。私はインフルエンサーになったことはありませんが、ちょっと想像力を広げてみると、箕輪さんだけでなくいろんな著名人やインフルエンサーと呼ばれる人が似たような体験をしているのかもしれません。

マラソンで走っている沿道には数万数十万人単位の観客(フォロワーら)がいるんですから、このうち1%からヤジを飛ばされただけでも数万や数千の批判リプライが飛んでくるわけです。

これは、かなりのダメージを受けそうですね。

ツイッターなどSNSが発展してきた中で、発言がほかの人に大きな影響を与える分、そういう影響を与えた人からの「声」による発信者への負担感も大きくなっているかもしれません。

批評・批判をおしごとにしている記者として、こんな状況は誰も幸せにならないな、と思ってしまいます。

「じゃあ、お前、ここまでお前の記事を読んだんだから、なんかいい案示せよ」

とみなさんの声が聞こえてきます。

すみません思いつきません。ない頭で考えると

SNS時代の節度ある批判・批評の態度

  • 著者・発信者への敬意を忘れずに批判や批評する
  • 人を引きずり下ろすようなことは控える
  • 批判が集中して袋叩きになりそうだったら、批判したい気持ちをぐっとおさえて見守る
  • 批判・批評するにしても、粘着せずにドライに書く(反論されても、再反論せずに一往復にとどめるとか)
  • 著者・発信者もいちいちたくさんの批判・批評を相手するひど暇ではないだろうから、無視する権利を尊重する

すみません、これぐらいしか思い浮かびません。みなさん、批判・批評して、良いアイデアをください。

まとめ

・箕輪さんとの「論争」から見えてきた、SNS時代のインフルエンサーの大きなストレス

・でも、批判・批評は世の中のためになるし、それをなくそうとしたりするのは間違っている、と思う

・袋叩きにしない、粘着しない、節度ある批判・批評をみんなが身に着ければ、かなしい現状や負担感が変わらないかなぁ

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

さて、「メモの魔力」を買いに本屋に行こうかな。箕輪さん、今度もしお会いできたら、「死ぬカス」にサインほしいです(恥

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